一年の計

自分はWebのニュースより、紙面の方が好きな旧式人間。

紙面がいいのは、(タイムリーでない代わりに)「保存できる」こと。
昨日から、溜まってしまったNews Week誌を眺めている。

12/24号に、経済システムの支援には、先進国のみならず新興国GDPの7%が必要、と書いてあった。
こんなことが可能なのだろうか、と思った。
現実には、不可能な数字だと思う。

同じ誌面に、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンの短いコメントが載っていた。
邦訳されている書籍の多い、日本でも露出度の高い学者だ。
クルーグマンは、大恐慌の時代とは「通常の景気対策が機能しない状態」と、明確にその性格を語っている。
また、「30年代のアメリカ(世界恐慌)と現代の違い」を「銀行の周りに人が並ぶ代わりに、マウスをクリックしている」と述べている。
サブプライム問題に端を発して、原油穀物先物取り引きを荒し回り、実体経済を崩壊に導き、ドバイのクレーンをストップさせた「お金の流れ」は、マウスのクリック一つで起ってしまう。

銀行家や機関投資家(以下、投資家と呼ぶ)のこういった行動結果を補正するのに、GDPの7%もの支援金が必要ということ。
投資家たちの持つお金が、政府が持つお金よりもはるかに巨額であって、かつ、瞬時に移動してしまう(これに対して政府の支援は議決のもとに行われるので、必ず後手に回る)現代経済は恐ろしい。

投資家が牛耳る経済と、政府によって統制の効く経済の違いは、「経済に大きな影響を及ぼす主体の数」である。
政府という少数の主体によって統制される経済は「予測可能な経済」である。
これに対して、多数の主体によって利己的な動きをする経済は、「予測不能な経済」であって、「複雑系」を形成する。

複雑系」には、「経路依存性」という性質がある。
それは、「いつ、どんなタネが蒔かれたか」の微細な違いが、大きな「結果の違い」を生み出す。
予測不能であるとはそういうこと。

「衣食足りて礼節を知る」というように、経済は社会の基盤である。
経済が崩壊すれば、社会そのものが崩壊してしまう。
しばらく前には「アッパーミドル」という言葉がよく見かけられたが、昨日、書店に言ったら「ロウアーミドル」と書いてある背表紙が散見された。
次は、どんな言葉で「時代に代表される社会階層」を表現するのだろう、と思った。

つまらない結論かもしれないが、自分が見つけ出した言葉は、
『バカでなければならない』
ということ。
常識などにとらわれていてはならない。
全てを取り払わなければならない。

バカになって一からやり直す。

これが、今年一年の計。
(私を良く知る友人から、「お前元々バカじゃん」と言われそうだが、そうしたらどうしようか)