ITとCSR;  企業の社会的責任と、中古PCの活用についての試案

<このログは、EzoGPの開発記ブログに掲載したログを加筆・修正したものです。>

EzoGPの開発記ブログで、ここしばらく「社会事業」、「社会的起業」を話題にしてきた。発端は、mezawa氏ログであるが、このログでは、これを「違った方向」から考えてみたいと思う。

mezawa氏のログで取り上げられた「Table For Two」であるとか、多くのNPO法人の活動は、「世の中の課題をボトムアップ的(草の根的)に解決しよう」という運動である。ただし、Table For Twoのような秀逸なビジネス・ロジックはそうそうあるものではないから、多くのNPO法人の活動エリアは、「行政と企業のサービスの溝を埋める活動」であると思う。この「溝」ができてしまう理由は、財源の不足であったり、利益計画の立たないビジネス領域であったりするからである。

先に「別の方向」からといったのは、「社会事業」、「社会的起業」という事象を、企業サイドの視点、ITの視点から考えてみたい、という意味である。

近年、社会事業、NPO法人という言葉と対になって、CSR(企業の社会的責任)という言葉が市民権を得たように思う(実際、Table For Twoの小暮氏の著書にも頻繁に登場する)。企業のHPにも、かなりの割合でCSRのページがある。
松下幸之助氏が「企業は社会の公器」と言ったように、企業の社会的貢献活動の歴史は古いと思うが、企業人やそれを取り巻くステークホルダーの意識に、今、大きな変化が起こっていると感じる。

本を見てみると、CSRという言葉が世に出回るようになったのは、2004年頃だそうだ。
自身が(CSRという言葉ではなく)「企業の社会への貢献」ということを意識したのは、ちょうど同年に、JQA(日本経営品質賞)のセルフアセッサー講習を受けたときであった。JQAで規定する「category 2」がこれに当るのだが、IT技術者という自身の職務と「社会的な責任」ということが、いま一つしっくりとこなかった

それから、今まで、自身の近辺(IT領域)では、コンピュータで有害物質を集計するシステムができたりした。
だが、これもなんとなくしっくりこない。企業でITを担う者として、もっと積極的にCSRに関与できるのはないか?ITに関して、直接的に企業ができる社会的活動とは何か?
これが、しばらくの間、自身の頭に引っかかっていて、今もそうである。

ただ、今、ひとつのヒントはオープンソース・ソフトウェア(OSS)にあるのではないか?と思っている。OSSを生み出すプロジェクトも、一つの非営利団体NPO)である。

近年、一部のITベンダーが、オープンソースとしてソフトウェアを開発提供するようになった。EzoGPもOSSプロジェクトである。しかしながら、こういった個々の活動が社会に与える影響は「とても小さい」と実感している。
翻って、「社会に一定の影響を及ぼすには?」と考えた場合、OSSには規模の経済が作用することが分かる。Linuxを例にとれば明らかなように、多く企業人が実践でこれを活用することでプロジェクトとプロダクトの社会的認知が高まり、その結果として、コミッターや寄付が増え、品質が幾何級数的に上がっていく。一度、このような「良循環」に入れば、OSSプロプライエタリなソフトウェアに遜色ないものに仕上がって、拡散していく。

したがって、ubuntuなどの、既に一定の品質を満たしているOSSについては、もっと多くの日本企業で公式に採用することで(数年前、米国の関係会社で、開発機が全部ubuntuになっていて驚いたことがある)、その社会的認知度をあげるべきだと思う。そうすれば、少なくとも「無料で手に入るソフトウェア」の品質が向上する。

2008年に会津若松市が、市をあげて大々的にOpenOfficeを導入して話題になった。自身、バージョン0.xの頃からマシンにインストールしている(そもそも、LinuxディストリビューションにバンドルされるOffice Suiteはこれしかなかった)が、バージョン2でドラスティッスに改善され、バージョン3(3.1)の現在は、ビジネス利用しても遜色ないと感じる。EzoGPでも、公式な文書はOpenOfficeで作ることにしている。


さて、ここまでは前置きである。

先日、ニュースで、中国四川省で大規模なPCの投棄が行われているという報道を見た。日本からもたくさん投棄されているという。
環境問題としても大問題であるが、まっさきにもったいない、と思った。
PCのライフは、OSやアプリケーションのライフサイクルに従属する。ソフトウェアが「高性能になること」が、PCの買い換えるという行為につながっていく。OSが、1GBのメモリーと2.5GHzのクロックのCPUを要求すれば、それに応えるPCが必要だ。

また、企業ユースでは、この他に、PCやPCサーバーのライフは部品の供給サイクルで決定してしまう。たとえ、PCが元気であっても、部品供給が止まってしまえば、壊れたときに修理ができない。したがって、買い換えなくてはならなくなる。大きな会社であれば、3年(サーバーであれば4年)程度のサイクルで置き換えが発生しているのではないかと思う。
これは、PC産業のビジネスモデルなのであるが、それが負の循環を作り出していると思えてならない。

PCが新規に投入されるときには、その時の最新OSと最新デバイスで最適化されている。このタイミングでは、ubuntuのようなOSSは明らかに不利である。だが、投入後2-3年が経過した(中古の)マシンは、Linux OSや他のOSSをインストールするのに適している。PCが中古になって捨てられてしまう2-3年の期間は、デバイスドライバーの開発と検証には十分な時間である。そして、Linuxマシンは概して軽量だし(ubuntu9.04jとXPのSP3を比較したことがあるが、軽量と言われるXPですら起動時のメモリ消費には4倍位の開きがあった。Googleが開発しているChromeベースのOSも非常に軽いに違いない)、チューニングも思いのままであるから、メモリが少しくらい小さくても動く。そもそも、いまどきは、Thin Clientが見直されているし、多くのソフトウェアはブラウザー上でリッチに動く。こう考えると、OSSを活用することで、たくさんの中古のマシンがよみがえるのではないかと思う。しかも、コストはミニマムに抑えられる。

推測するに、廃棄されるPCの多くは企業から発生している。OSSが積極的に企業に採用されれば、中国に投棄されるPCも随分を減るだろうと思う。もしかしたら、PCが欲しくても買えない人々にPCが行き渡るかもしれないとも思う。
逆に言えば、社会的影響力の大きな機関である企業は、OSSを利用して、それを社会にアピールすることで(このような形で具体的に)社会貢献できる、と思う。

ITとCSR」。回りを見渡せば、企業のみならず、個人にもPCが行き渡り、有線/無線のブロードバンドが張り巡らされている。これだけのIT世界なのだから、考えるべきこと・できることはたくさんあるはずである。


そういった中で、上記の試案は、具体的な一つの施策になりえるのではないかと思う。