ネグロポンテと帯域幅
以前、自分は「放浪するシステムエンジニア」というブログを書いていた。
初心に戻るというか、そんな気分になったので、ブログタイトルを変えてみた。
先日、友人のから昔の記事を出してくれと言われ、探して見ると、2006/8/17 付で以下のようなことを書いていた。
まったく手をつけずに、以下に再掲する。
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ニコラス・ネグロポンテの名前をご存知の方も多いことと思います。
初代MITメディアラボの所長さんで、著名な「being digital(邦題;ビットの時代)」の著者です。
「ビットの時代」は1995年に出版された本ですが、いまだに色あせない洞察を含んでいます。
ネグロポンテというと、ワイヤレスLAN(IEEE802.11b)に関する忘れられない記事があります。
「いつの記事だったかな」、とハーバード・ビジネス・レビュー(日本版です。以下、HBR)の山をひっくり返すと2001/12号に「being wireless」というタイトルのインタビュー記事が見つかりました(残念ながら、インタビューの日付が明記されていませんが、記事の内容から2001年に入ってからのインタビューであることが推測されます)。
なにが忘れられないかというと、この中でネグロポンテはIEEE802.11bに関して以下のようなことを述べています。
○カバー範囲が100mにも及ぶため、自分の家がひとつの基地局となる。
○この範囲に住む人が自分のワイヤレスを使用したければ、自分がその人に承諾を与えれば、利用権を与えることができる。
○自分の家から離れた家が、また、基地局となると、その放射がまたその周辺をカバーする。
○このようにして地域全体が802.11bでつながることになる。
○地域内では協定を結ぶことで、同じ周波数を相互に使用できるようになる。
また、
○802.11bはだれもが自主的に設置できるので、ウィルスのようにあっという間に伝播・感染していく。
○ノートパソコンにトランシーバのカード(注;2001年の段階はカードが必要でした)をいれるだけで、伝播の届くところでは携帯電話もローミングサービスも使わずにインターネットに接続できるようになる。
○この802.11bがインターネット登場以来、長距離通信(注;短距離ではない)の世界においてもっとも重要な現象だと考えている。
とも述べています。
802.11bは1999年成立の規格ですし、2001年という時期(HBRは「ブロードバンド元年」として特集記事を組んでいます)背景から見て、その熱に浮かされていたとする見方もあるかもしれませんが、私はこの記事を読んで、正直、大変感動してしまいました。
この記事のメッセージは明らかに
『ワイヤレスLAN(の自己増殖的なネットワーク)で世界がひとつになる』
と言っているからです。
さて、時代は現在(2006年)に下ります。
ネグロポンテが指摘した通り(というか、日本では予想以上のスピードで)、ブロードバンド化と無線化(802.11の増加)が現実のものとなっています。
しかしながら、残念なことに世界はひとつになっていません。
日本ですらひとつになっていません。
この根本的な原因は、プロバイダーシステムの複雑性、帯域幅を売りにしたキャリアの販売戦略にあると思います。
これらが、ネットワークに透過的なサービスの享受(どこにいっても、無線LANさえキャッチすればサービスが受けられること)の障壁となるとともに、「帯域の公共性」についての利用者の意識の欠如を助長していると思うからです。
(ネグロポンテ自身は、上で「…自分がその人に承諾を与えれば、利用権を与えることができる」と述べていますので、帯域幅を公共のものとする考えは持っていないものと思います)
特に「帯域幅の公共性」は、今後、非常に重要な考え方であると思っています。
一般家庭で(実行速度ではないにしろ)100Mbpsの帯域幅のネットワークを引ける状況というのは、全地球的にみても凄いことで、逆を言えば(日本人が得意な)「過剰品質(必要以上の品質・サービスのこと)」であると見ることができます。
これだけの帯域をひとつの家庭が占有する必要性は、VODが本格化してもないと思っています。
(たとえ、すべての動画をインターネット回線を通じて流したとしても、最近のストリーミング技術では、512K程度で十分にきれいな画像を伝送することが可能です。)
ですので、殆どの家庭の帯域は非常に余った状態にあるのが現状で、こういった状況は将来も続くと考えられます。
これは大変に「もったいない」話です。
これを助長しているのが、キャリアの販売戦略と課金制度です。
キャリアは「うちならいくらで100M」という売り方をして利用者と定額の契約を結びます。
ですが、このやり方だと「利用者はその100Mを占有することが当たり前」という意識をもちますし、(そのように課金されますから)それが当然です。
ですが、キャリアもこういった形で、次は200M、次は1G(実際に、東京近郊では現時点でも1Gの帯域を引くことが可能です)という売り方をしていくのは、投資的・技術的な限度があるのではないかと思います。
「下りが早く、昇りが遅い」という既存の問題も、P2Pの興隆に伴って浮き上がるでしょうから、そういったことも課題の1つとして挙がってくるでしょう。
また、インターネットは日本国内だけのネットワークではありませんから、日本ばかり帯域幅を広げても、実行速度は(もっともスループットが低いエリアによって規定されますので)変わらないといったこともあります。
現在、NTT docomo(MZone)、NTT Communications(HotSpot)といった、大手の無線キャリアが公共の場(空港、駅など)でサービスを提供していますが、これらのサービス間に透過性はありません。
結局、無線はキャッチするが、特定のキャリアと契約していないとインターネットにつなげないというわけです。
マクドナルドも無線LAN環境を提供していますが、これなYahoo BBの無線契約に縛られています。
このような状況は、完全にネグロポンテの夢を打ち砕く状況であると感じられます。
元をたどってみると、定額課金制度は、「BB化に伴う常時接続」のための簡易かつ安価な課金制度として発生したのだと理解しています。
また、WEP暗号化で無線ルータとターミナル間通信を保護するだけが、(通信路が閉じているという意味での)セキュアな接続環境ではありませんから、プロバイダーも余っている帯域を有効に活用する方法を見出すこともできるはずです。
(無料のWebメイルなどを提供するサービスが興隆・充実してきていますから、旧来のサービスではプロバイダーの存在意義がなくなってしまうのではないかとも思われます)
どんどん話が長くなってしまいました。
「帯域幅の公共性」という概念、言い換えれば「あまった帯域をどう使いまわしていくか」という課題が、今後、決定的に重要であると考えています。